旅 607 休題
2016年 11月下旬
遅くなったが、次回から2016年の旅の記録に入る。
2016年のはじめに義父がなくなり、春には私が蜂窩織炎で入院した。
2015年の春にステントを入れる手術をした。その後、手足を中心に極端な乾燥肌になり、冬場まで続いた。乾燥肌の痒みで掻きむしることがあり、左足の甲に掻き傷ができ、そこからばい菌が入ったようだ。
治療の中盤、抗生物質の薬が合わず、高熱が出て大変な思いをした。このステント手術に始まる一連の体調不良は今は落ち着き、これから冬を迎えるが今期はおそらく大丈夫だろう。
2016年は、春に「北関東の旅」、5月に「静岡の旅」、6月に「栃木の旅」をした。
「一宮巡り」も東海道、東山道、北陸道、山陰道、西海道、陸奥は順調に進んでいるが、畿内と山陽道、南海道がスッポリ抜けているので、8月には山陽道の一部を廻った。
そして、10月17日から11月2日にかけて、淡路と四国の一部を廻った。この旅で伊弉諾神宮(淡路国)、大麻比古神社(阿波国)、田村神社(讃岐国)、大山祗神社(伊予国)、土佐神社(土佐国)を廻ることができた。
これで、畿内を除いて7割方訪問したことになるが、隠岐、対馬、壱岐といった島が残っているので、実質半分廻ったというところか。
残りは2017年~2018年の間に廻りたいと考えているが、先のことは分からないのが人生という旅である。
つい最近のニュースに、「奈良時代の銅銭が北海道の知床で出土した」というものがあった。
『 北海道斜里町(しゃりちょう)教育委員会は15日、知床半島にある「チャシコツ岬上遺跡」の9世紀ごろの地層から、奈良時代の銅銭「神功開宝」が出土したと発表した。
国内最北の出土例といい、町立知床博物館は「北方のオホーツク文化が、北海道南部を経由して本州の律令国家と交流していた可能性を示す重要な発見だ」としている。
「神功開宝」は、奈良時代から平安時代にかけてつくられた「皇朝十二銭」の一つ。「和同開珎」「万年通宝」に次ぎ、765年に発行された。
オホーツク海沿岸などでは9世紀ごろまで、北方から渡ってきた海洋狩猟民族による「オホーツク文化」が栄えていた。皇朝十二銭は道内でも出土例があるが、オホーツク文化の遺跡から出たのは初めてという。発掘を担当した平河内毅学芸員は「北海道南部・中央部の『擦文(さつもん)文化』を経由して知床まで伝わったのではないか」とみる。
チャシコツ岬上遺跡は、海に突き出た高さ約50mの断崖上にあり、オホーツク文化の住居跡31カ所が残っている。遺跡の存在は早くから知られていたが、本格的な発掘調査は2013年に始まったばかり。銅銭は遺跡中央部にある捨てられた住居跡で、魚の骨や土器片などと一緒に見つかった。
オホーツク文化に詳しい北海道大学アイヌ・先住民研究センターの加藤博文教授は「貨幣としてではなく、遠隔地と交易できるステータスを示す『威信財』として使われたのではないか」と話している。 』
縄文時代の黒曜石の出土例にも見られるように、北海道も古くから物々交換の経済域に含まれ、奈良・平安初期には北海道を含めた日本の国は、人と物の交流はかなりあったのだろう。
東北を含めた蝦夷を律令国家の侵略という観点(纏ろわぬ者の征服)から見るから、東北・北海道が文化果つる国のようなイメージがあるが、本来は7
世紀頃には物流とともに人々の交流も盛んであったのではないだろうか。
毎年のように日本各地で新しい発見があり、縄文時代も弥生時代も古墳時代も、私が以前に思っていたより遥かに日本各地がダイナミックに繋がれており、交流も盛んであったと考えられる。
日本において文字で歴史が綴られるようになり、却って文字により歴史が捏造されたきらいがあるのではないだろうか。為政者にとって都合の良いように記録され、都合の悪いことは省かれてきた傾向があるのではないか。正史と言われるものの全てを鵜呑みにすることは危険であるようにも感じる。また偽書と言われるものの中にも、一部に真相を伝える部分があるのかもしれない。
古代史についても、従来の定説に縛られることなく、いくつかの史料を検討して慎重に研究を進める必要があるように思う。
恒例である秋のテニス合宿は、今年は少し遅くなり11月の末となった。いつも幹事をやってくれるMさんが今回は都合が付かず参加できないので、私が幹事をやることになった。四国の旅で痛めた右足のかかととアキレス腱が、まだ万全ではないが、温泉とお酒が楽しみである。
今年も残すこと1ヶ月余りになり、12月に入ると忘年会もある。どうしても忘年会の後、急死したテニス仲間のHさんのことが思い出されてしまう。忘年会の日にはテニスをしていたHさんは62歳で逝ってしまい、私はショックを受けた。第二の人生をスタートさせたばかりで、やりたいことは沢山あっただろうに。
去年の秋のテニス合宿にはHさんも参加していて、一緒に楽しくテニスをしていたのだが……。 何だか遠い昔のようにも思える。
Hさんの旅は、突然終わった。私は若干健康不安を抱えながらも、旅を続けられていることに感謝している。退職したときスローライフを標榜したが、まだまだ行きたいところが沢山あり、のんびりしていられないように感じて気ばかり焦る。何だか人生の残り時間と競走しているような気分になり、落ち着かなくなったり不安になったりする。
就活ならぬ終活という造語も耳慣れてきたが、人生の終い方(しまいかた)を考えて行動できる人は幸せなのかもしれない。死が突然であることが一番怖いことのように思われる。
人は生き続ける限り、不安というストレスからは逃れられないようである。
遅くなったが、次回から2016年の旅の記録に入る。
2016年のはじめに義父がなくなり、春には私が蜂窩織炎で入院した。
2015年の春にステントを入れる手術をした。その後、手足を中心に極端な乾燥肌になり、冬場まで続いた。乾燥肌の痒みで掻きむしることがあり、左足の甲に掻き傷ができ、そこからばい菌が入ったようだ。
治療の中盤、抗生物質の薬が合わず、高熱が出て大変な思いをした。このステント手術に始まる一連の体調不良は今は落ち着き、これから冬を迎えるが今期はおそらく大丈夫だろう。
2016年は、春に「北関東の旅」、5月に「静岡の旅」、6月に「栃木の旅」をした。
「一宮巡り」も東海道、東山道、北陸道、山陰道、西海道、陸奥は順調に進んでいるが、畿内と山陽道、南海道がスッポリ抜けているので、8月には山陽道の一部を廻った。
そして、10月17日から11月2日にかけて、淡路と四国の一部を廻った。この旅で伊弉諾神宮(淡路国)、大麻比古神社(阿波国)、田村神社(讃岐国)、大山祗神社(伊予国)、土佐神社(土佐国)を廻ることができた。
これで、畿内を除いて7割方訪問したことになるが、隠岐、対馬、壱岐といった島が残っているので、実質半分廻ったというところか。
残りは2017年~2018年の間に廻りたいと考えているが、先のことは分からないのが人生という旅である。
つい最近のニュースに、「奈良時代の銅銭が北海道の知床で出土した」というものがあった。
『 北海道斜里町(しゃりちょう)教育委員会は15日、知床半島にある「チャシコツ岬上遺跡」の9世紀ごろの地層から、奈良時代の銅銭「神功開宝」が出土したと発表した。
国内最北の出土例といい、町立知床博物館は「北方のオホーツク文化が、北海道南部を経由して本州の律令国家と交流していた可能性を示す重要な発見だ」としている。
「神功開宝」は、奈良時代から平安時代にかけてつくられた「皇朝十二銭」の一つ。「和同開珎」「万年通宝」に次ぎ、765年に発行された。
オホーツク海沿岸などでは9世紀ごろまで、北方から渡ってきた海洋狩猟民族による「オホーツク文化」が栄えていた。皇朝十二銭は道内でも出土例があるが、オホーツク文化の遺跡から出たのは初めてという。発掘を担当した平河内毅学芸員は「北海道南部・中央部の『擦文(さつもん)文化』を経由して知床まで伝わったのではないか」とみる。
チャシコツ岬上遺跡は、海に突き出た高さ約50mの断崖上にあり、オホーツク文化の住居跡31カ所が残っている。遺跡の存在は早くから知られていたが、本格的な発掘調査は2013年に始まったばかり。銅銭は遺跡中央部にある捨てられた住居跡で、魚の骨や土器片などと一緒に見つかった。
オホーツク文化に詳しい北海道大学アイヌ・先住民研究センターの加藤博文教授は「貨幣としてではなく、遠隔地と交易できるステータスを示す『威信財』として使われたのではないか」と話している。 』
縄文時代の黒曜石の出土例にも見られるように、北海道も古くから物々交換の経済域に含まれ、奈良・平安初期には北海道を含めた日本の国は、人と物の交流はかなりあったのだろう。
東北を含めた蝦夷を律令国家の侵略という観点(纏ろわぬ者の征服)から見るから、東北・北海道が文化果つる国のようなイメージがあるが、本来は7
世紀頃には物流とともに人々の交流も盛んであったのではないだろうか。
毎年のように日本各地で新しい発見があり、縄文時代も弥生時代も古墳時代も、私が以前に思っていたより遥かに日本各地がダイナミックに繋がれており、交流も盛んであったと考えられる。
日本において文字で歴史が綴られるようになり、却って文字により歴史が捏造されたきらいがあるのではないだろうか。為政者にとって都合の良いように記録され、都合の悪いことは省かれてきた傾向があるのではないか。正史と言われるものの全てを鵜呑みにすることは危険であるようにも感じる。また偽書と言われるものの中にも、一部に真相を伝える部分があるのかもしれない。
古代史についても、従来の定説に縛られることなく、いくつかの史料を検討して慎重に研究を進める必要があるように思う。
恒例である秋のテニス合宿は、今年は少し遅くなり11月の末となった。いつも幹事をやってくれるMさんが今回は都合が付かず参加できないので、私が幹事をやることになった。四国の旅で痛めた右足のかかととアキレス腱が、まだ万全ではないが、温泉とお酒が楽しみである。
今年も残すこと1ヶ月余りになり、12月に入ると忘年会もある。どうしても忘年会の後、急死したテニス仲間のHさんのことが思い出されてしまう。忘年会の日にはテニスをしていたHさんは62歳で逝ってしまい、私はショックを受けた。第二の人生をスタートさせたばかりで、やりたいことは沢山あっただろうに。
去年の秋のテニス合宿にはHさんも参加していて、一緒に楽しくテニスをしていたのだが……。 何だか遠い昔のようにも思える。
Hさんの旅は、突然終わった。私は若干健康不安を抱えながらも、旅を続けられていることに感謝している。退職したときスローライフを標榜したが、まだまだ行きたいところが沢山あり、のんびりしていられないように感じて気ばかり焦る。何だか人生の残り時間と競走しているような気分になり、落ち着かなくなったり不安になったりする。
就活ならぬ終活という造語も耳慣れてきたが、人生の終い方(しまいかた)を考えて行動できる人は幸せなのかもしれない。死が突然であることが一番怖いことのように思われる。
人は生き続ける限り、不安というストレスからは逃れられないようである。



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